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第20号巻頭ページの続き

2024-08-20
忍びの里、赤目四十八滝を往く
 甲賀(こうか)も名張同様の起伏の多い地形です。地理的に近く忍びにとっては指呼の間。事実、藤林砦は甲賀の隣接地(伊賀市東湯舟)にありました。互いに影響し合って忍びを発展させたものと考えられます。そして伊賀流忍びは名張が発祥です。狭い耕地を守るための自衛手段として発達しました。薬草、観天望気(雲や風を読み、天候を予測する技術)の知識など科学的で、農耕に根差したものだと判ります。

 マキビシ(写真参照)と言う忍びの武器があります。四方に鋭い突起を備えどの方向に着地しても、突起のひとつが必ず上を向くようになっています。追撃から逃れるために地面に撒き、追手にそれを踏ませるなんとも残酷な武器です。中学生の頃、そのマキビシを自作しました。5,6個も作ったでしょうか?袋に入れて、イザ撒こうすると、突起が袋の中に刺さって容易に出てきません。無理やり取り出した結果、自分の手のひらと指先が血まみれになりました。さながら自分の手が追手になったようでした。実戦使用となると最低でも20~30は撒かないと効果はない。実験の当時、こんなものが役に立つのかと懐疑的でした。いまにして思えば竹筒に入れて携行し、筒から直接撒いたのではないかと推量しています。

 映画等で昼間から黒装束で駆け回るシーンがありますが、あり得ませんよね。まるで「怪しい者がここにいますよ」と宣伝しているようなもの。忍びと言うくらいですから目立つことは法度です。そもそも忍びの本懐は戦闘ではありません。主たる任務は情報収集、後方かく乱。時に暗殺もありますが極めてまれです。暗殺する価値のある人物が警護もなくボンヤリしているはずがありません。つまり警護厳重な相手はリスク高い。忍びが武器を用いる時はほぼ逃走時だけです。夜陰に紛れて逃走するには黒装束が便利なのは当然です。十字手裏剣を多用するシーンも眉唾です。鉄は高価である上に重い。身軽の身上の忍びが多量の手裏剣を懐に何が出来るのでしょうか。

 彼らの専門分野である薬草をひさぐ行商人になって、全国各地を定期訪問、信用を得て情報を収集していました。そのために商人らしく振舞い、各地の方言を操る訓練も欠かせません。

 伊賀の歴史で、第二次天正伊賀の乱(1581年)は外せません。信長自ら兵を率いて44000もの兵を6方面から攻めこみ、約2週間、伊賀全土の空が炎で染まったという、女子供を含む無差別の徹底した焦土作戦で伊賀名張をせん滅したと伝えられています。無論、伊賀名張に住む全ての住人が忍びだったわけではありません。この時、伊賀者たちの組織的な活動が潰えました。

 強国が小国を蹂躙するときは昔も今も焦土作戦なのですね。 
マキビシ
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